生活とは、日々これギャンブルである。たとえばあなたが、コンビニで486円の買い物をしたとしよう。何故かあなたの財布には500円玉が2枚。しかも新500円玉と旧500円玉が1枚ずつ。どちらを払うか、これが既にギャンブルである。何故なら、その後あなたはそこで損をするかも知れないからだ。
新500円玉が出た当初、自販機および両替機のほとんどはそれに対応していなかった。新500円玉が使える自販機を求めて、結局コンビニまで到達しまい『新500円玉つかえねえ』と心の叫びをあげた方も多いと思う。なに?無い?無いことは無いだろ。いや、だから、頼むから多いと言ってくれ。俺だけじゃなんか、ホラ、バカみたいじゃん。ねぇ?
えっと、しかし。新500円玉が世に出回るにつれ、自販機も少しずつ対応。新旧500円玉に対応が主流になってきた訳だが、その中にいくつか先走って『新500円玉にのみ対応』とかいう恐ろしい自販機もあるのだ。
そう、もしかしたら彼方は、大切な時にそんな自販機に当たってしまうかも知れない。さらにそんなときに限って、札が5000円札しか無かったりするかもしれないのだ。そんな賭に負けた時のショックは相当なものだろう。逆に勝った時の喜びも相当であろう。
生活の中のギャンブルとは、まずそれを意識する事から始まるのだ。自分を意識して初めて他人を認識出来るように、生活の中のギャンブルを意識する事で、彼方の生活はよりエキサイティングになるのだ。さぁ、あなたなら、新旧500円、どっちを選びますか?
(観客の一人にマイクを向ける)
『うーん。お札を出すかなあ』
あ〜そうかぁ〜 | |