日本語が、大好きです。(Sorry, Japanese Only.)
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年末になるとよく聞くフレーズがあります。「今年会うのも最後かなあ」とか「来年はどうしたい?」とかいうやつ。まあだいたい定型文で、返しも定型文のソレがあったりして。なんでもないping的なやりとりを行うことにより、理屈で測りにくい「何か」が進展するというのがおもしろい。進展というより保持される。なのかな。縁(えん)の保全のためウォッチドック機構が働くとかそういうやつ。やつー。

この「よく聞くフレーズ」に、明らかにここ数年で台頭してきた言葉があります。多分30代あたりには納得してもらえると思うんですが

「年末感が無い」

言いますよね。毎年。「ここ数年ずっと言ってるwww」ってところまでセットで。これ、毎年言ってるって言うけど、どれくらい言ってんのかな。って思って記憶をたどると、おそらくセブンイレブンが年末年始休まなくなって銀行でお金を下ろすのが簡単になったあたりって考えると、もうここ15年ぐらいは確実に言ってる。それ、もうこの先ずっと無いじゃん。過去の概念と化してるじゃん!!!

「もはや年末では無い」なんて、戦後みたいなノリで言う。

それでも僕らは「年末感が無い」と言う。便利と引き替えに失った、ありもしない年末感を欲している。なんなら若い子も合わせてくる。彼らも年末感が懐かしいのだろう。。。。。なんで?

考えてみたら、年末年始の食料不足はすでにここ十数年ですでに改善済みである。銀行なんてかなりギリギリまで空いている。若い彼ら彼女らはそんなものとは無縁なハズなのだ。何が懐かしいのだ?彼らの年末感とは何なのだ?少し気になったので、聞いてみることにした。

「仕事初めて、おっきい休みも無いし、試験も宿題も無いから」

なるほど、若い子の年末感は学生生活にあったか、確かに学生には年末年始に大きな休みがあり、それが否応にも季節を感じさせるのか。

つまり僕らが感じる年末感と、若い人の感じるそれはまるっきり違うものなのだ。それらが「年末感」という言葉のデフォルメによって、さも意志疎通出来ているように感じていただけなのだ。

「なんか今年も終わるのに、年末感無いよなあ」
「そうっスねえ。。」

このやりとりにおける世代間の溝は深い。




せめて週一でなんか書いておこうと思ったのだけれど今週は特に小ネタが無いなー。と、直近の出来事を思い起こす。
金曜日夜は細井さんと聡美さんとM3の打ち上げ。って、僕がM3なにかやったかって言うと何もやって無くて、単に二人がたこ焼き食べると言うのでついていった形。なんだ、こう書くと図々しいやっちゃな。美味しいたこ焼きやさんを教えてもらった٩( 'ω' )و。自分が作った歌を歌ってもらう、他人に作ってもらった歌を歌う時に、歌い手の個性を出すべきか、それを許すべきか。みたいな話が面白かった。

帰りに聡美さんと一緒だった。山手線の反時計回り。そこそこいい時間(僕がパックマンを連コしたのが悪いのだけれど)だったので、路線検索して効率的な路線を探す。聡美さんはどこ乗り換え?品川?僕は目黒から~。みたいなことやってたら、聡美さんが乗り換え案内では「乗り換えられる」って言ってない、大崎での相鉄乗り換えを見つけてくれた。現在時刻と駅間の所要時間を足して、相鉄の発車時刻を比べると2分しかない。表示されてる発車時刻も現在時刻表示も秒単位は切り捨てなので、乗り換え時間の最低ラインは一分そこそこ。いけるかな?どうかな?終電まではまだ少しあるので、ここで安全策とるよりちょっとチャレンジしたほうが楽しそう!てなんで、山手線から相鉄線のホームまでダッシュ。したけど、実は相鉄が遅れて、余裕で乗り換えられたという話。

落ちない。


日曜日はPSO同窓会。気がついたら、コミュニティーの下の方の奴らももうすぐ40らしい。いい感じに年をとった。色々持って行ったけど、GCのPSOをずっとやってる感じだったwww。あとはずーっとゲームの話。洋ゲーとユウがレギングレイブの面白さをアツく語ってたのが面白かった。僕はどうにも面白さが解らなかったwww。逆に僕がマリオテニスをアツく語ってた。

個人的に人に会った話はどうしても話をぼやかすなあ。コンプライアンス的に?かしら?そしてなにも書かずになにも残らなくて、後から楽しかった日々思い出せず毎日が曇天模様だった様な気持ちになってしまうのかなー。




マウスである。ネズミの事では無い。アルジャーノンでもウフコックでもなければ、いたずら好きの茶色でもない。トッポジージョはドコまで通じるだろうか。それもあまり関係ない。

先に言っておくと、これからする話は比較的どうでもいい、役に立たない話である。って書いてから、僕の話は12割ぐらいどうでもいい話だなって思った。

言いたいのはコンピューターに使うマウスだ。これでもまだ何を言ってるか判らないと思う。説明が果てしなくめんどくさいが「光学式じゃない方のマウスの話」だと言えば、比較的通じるだろうか。かつてはマウスといえば底面にボールを持ち、このボールの転がりを検知して、カーソルを動かしていたのだ。それが今や「光学式」に取って代わられ「マウス」と言うともはや光学式を指すことになってしまった。これによりもともとあった「ボールを使っていたマウス」は「じゃない方マウス」になってしまった。

「じゃない方マウス」の受難はこれに止まらない。実は「ボールを使ってるマウス」は最近では「トラックボール」を指している事がある。Amazonを調べると「トラックボール式マウス」なるものがゴロゴロ出てくる。これも不幸である。元々はポインティングデバイスとして雌雄を争っていたトラックボールは、世の中からマウスよわばりされているのだ。「ファミコンのプレイステーション」って言われてる気分である。ねえ、今どんな気持ち?

よってますます「じゃない方マウス」を言い表す言葉は厳格化を極める。何よりの不幸はその状況を「誰も不便とは感じていない」事にある。たまには思い出してやって欲しい、歴史に消えた「じゃない方マウス」の事を。

余談だけど、無線式のマウスって、由来から考えたら尻尾を切られていると思うんだけど、これについて動物愛護団体的にはどうなんすかね(果てしなくどうでもいい話を続ける)



ある日母が言った「私が死んだら骨を海に投棄してほしい。なんか、手続きしたらできるから」。そうか、母もそんな歳なのか。考えてみたら僕もそこそこの年なのだ。一昔前だったら完全に若者からバカにされる中年おじさんのポジションなのだ。なんでみんな遊んでくれるのか。ひょっとすると裏で僕をせせら笑ってるんじゃないのか。そう思うと軽く死にたくなるのでこの話は辞めたい。今すぐに。そして永遠に。


遺言の話である。海に骨を撒いてくれというのは、まあ、よくある。言ってしまえば凡庸な願いである。ただ、手続きが要るというのは初めて知った。そう言えば火葬場で焼いた骨だって立派な死体である。なる程、死体遺棄になるのか。では死体から切り離した爪はどうだろう。例えば、通夜で別れを告げる父の小指の爪がみっともなく伸びている。それはもう我慢できない位に。それを切り離すと罪になるのだろうか。なるのだろう。何せ灰ですら死体遺棄なのだ。 


遺言の話である。遺言は他の、どうでもいい願いとは違う。いまわの際の願いである。これは聞かねばならない。なにせ、その願いを最後に、彼の、彼女の願いをきくことはできないのだから。


それって、どこまで?


はたと思う。遺言はどこまでなら聞けるのか。聞いてもらえるのか。例えばだ、例えば、犯罪は無理である。当然だ。


「私が死んだら憎い旦那も殺してほしい」


ムチャクチャだ。死んだ奴の為に一生のリスクを負うなんてまっぴらごめんだ。どんな弱みを握られたんだ。というか、弱みを握った奴は草場の影じゃないか。言うことを聞く必要すらないじゃないか。


「私が死んだら、遺影を松方弘樹にしてほしい」


だめだ。なんか、ギリギリだめだ。松方弘樹だからだめだという訳でもないが、第一、誰の通夜だかわからない。通夜に来る人が入り口まで来て「あれ?松方弘樹って死んでたっけ?」ってなる。僕はいちいち「死んでますよ。それも、2年前にね」と断らなくちゃいけない。その説明をした上で、遺影が松方弘樹なだけで別な人間の通夜であることを説明しなくてはいけない。なまじ、松方弘樹が死んでるせいで説明がめんどくさい。たとえ遺言でもこれは聞き難い。


「遺影をsnowで盛ってくれ」


これならどうだ。しかも、ギリギリありそうだ。死んだ時の遺影ぐらい格好良くしたい。というか、普段からsnow使っている人はむしろそうしたいんじゃ無いのか。もう、盛りすぎるぐらい盛っていきたい。本人だと判るギリギリのラインまで盛っていきたい。


弔問に来た奴が、記帳を済ませ、棺桶の前に行って手を合わせる。ああ、アイツも逝ってしまった。何だかんだでダメな奴だったけど、憎めなかったなあ。なんて思いながら顔を上げ、遺影を見る。違和感がある。あいつ、こんな器量よかったか?ちょっと申し訳ないけど遺体を見る。そして納得する。そうそう、そうだよ、これぐらいの感じだったよ、ああ、安心した。他人の葬式来ちゃったかと思ったよねぇ。と、改めて遺影を見て、やはり違和感。なんだ?何が違う?言われて見ればこの遺影もアイツだ、死んだアイツに違いない。目の前に転がっている死体もアイツだ。アイツなのに、何かが違う。アイツがアイツでアイツが俺で。死んだのだーれだ?俺かー!?と、弔問した奴が首を捻りながらお通夜を後に出ていくのだ。是非やりたい。僕の遺言はこれにしよう。という話しを母にしたところ母に殴られた。グーで。



金曜日の段階で、細君が「渋谷スクランブルスクエアがまだ予約できるみたいなんだけど」と言うので調べたら本当に行ける。年内はちょっとむつかしいんじゃって思ってたのでこれ幸いと行ってきました。

バカと何とかは高いところに集まるってね。

行ってみると、駅から地下でつながってるオシャレショッピングモールでした。ヒカリエの隣かな。まだ結構混んでて、屋上に上がるための受付にたどり着くのが大変。スタッフが「エレベーターよりエスカレーターのが早いですよー」と言って回るくらい。ちょっと、災害時の避難経路が気になる混み方だった。

予約取っていたので、14階についたら割とスムーズに屋上へ。これが、凄い。当たり前だけど空が見えるそして視界を塞ぐものが(人以外)何もない。

屋上なのでど真ん中にヘリポートがあるんだけど、そこをすこし小高くして人工芝にしてあって、ちょっとした広場きぶんでまたきもちいい。

東京タワーとか、スカイツリーってなんやかんや天井ありますからね。それが無い。あと、東京でも新宿でもない、渋谷ってのが新鮮でした。



    
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