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ここう
子供の頃は大人になりたくなかった。その当時の親は高度成長期の余韻まっただ中。しかも、サラリーを辞めて電器屋を始めたばかりで忙しい。楽しく遊んでいる姿を見た事が無かった。せいぜい、子供を連れて慌てて旅行に出るとか、それぐらい。歴史とか、名前を尊ばない僕は旅行の楽しさは解らなかった。

 子供なら、時間が自由だし、責任は無い。せいぜい金銭的制約があるぐらいの不自由しかなかった。差は歴然。出来る事なら、子供のままが良かった。

 ただ、ただ、高校の時に一度だけ、父親を羨ましく思った事がある。世の中が衛星放送に以降したばかりの時だ。父は、母に金額を内緒にして(これは、母から後で聞かされた)、まだ高価だったBSアンテナとチューナを購入。それを嬉々としていじっていた。というか改造していた。隣の韓国の放送や、放送開始前のレポータの顔とかを写しては喜んでいた。「ああ、大人になっても、遊べるっていいなあ」と思った覚えがある。

 今、大人たちは必死だ。経済はギリギリだし、給料は安くなる一方。なのに生活水準は下げられない。子供の目の前で、子供のためではなく、自分のために遊んでいる親がどれくらいいるのだろう。そんな、誰かの為に必死になるような親に、子供はなりたいと思うだろうか。

 
 「はやく大人になって僕も遊ぼう」そう子供が思える様な大人になろうと思う。


人間は、死ぬまでの時間をお金に換算し、そのお金を時間と共に消費する。そう考えれば、自ずともっとも価値のあるものが見えるはず。しかしながら、社会には、お金を時間よりも価値のあるものと考えている人が案外多い。これは、時間が、過ごし方如何に関わらず平等に消費され(厳密には、地球の中心からの距離で若干違うらしい)、また、死ぬまでの正確な時間を知る方法が無いからと思う。

 実は子供がもっとも裕福だ。これは換金する時間を両親が肩代わりしている為。親は子をもっと私物化してもいいんじゃないか。少なくとも自分で稼ぎ出すまでは。その代わり、子の行動には最後まで責任を持ってくれ。

 『家庭』を一つの植物に例えれば、両親は根であり、子が花や実という考え方もある。根は、花や実のためだけに時間を消費しているのだ。近所にある富士通のビルは、土日祝、昼夜問わずこうこうと明かりがついているが、あそこで働いている人達は『根』としての人生を良しとしているのかもしれない。僕はそんな人生、嫌だなあ。


自分に娘が居る夢を見た。娘は、僕の気に入りの、パンダのぬいぐるみで遊ぶフリをして大人を喜ばせる。「あら、かわいいのね」「いくつ?」と近寄る大人をあしらい、笑顔を振りまく。

 やがて、大人が彼女への興味を失った事を確認すると、彼女は、僕の目の前に駆け寄る。未だ小さな革靴。膝丈のワンピース。白い袖。肩まで伸びた髪。座った僕と同じ高さの、大きな目。赤い唇が、動く。

「なんで大人は働くの」

「考え方が逆。働いている人を大人って言うんだよ」

「嘘。働いていない大人だって居る」

「そうすると、さっきの質問が矛盾する」

「あ、本当」

「つまり大人が働いている訳じゃない」

「なんで働くの」

「人によって違うよ。多くは子供のため。そのほかは違う誰かのため」

「お父さんは」

「少なくとも、君のためじゃない」

「安心したわ。ありがとう」

「どういたしまして」


 そんな聡明な子が自分の子なら、苦労はしないんだけどなぁと起きてから思った。

    
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