日本語が、大好きです。(Sorry, Japanese Only.)
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 どっかの相撲部屋の親方、部屋の稽古がオリジナリティ過剰、稽古の枠を越え現世どころが涅槃まで行っちゃったって件。まあ、なんにせよ、親方が弟子しごくにしても兄弟弟子まで命令してやっちゃイカンよな。憎まれ役買うなら味方も用意してやるのが親分ってもんだぜ。なんて話はクソどうでも良くて。まあ、こういった話を報道エンタテインメントとして扱っているどこかの新聞が「死のけいこ」とかいう単語を使っていて、それがなんとなく気になった話。

 「死の稽古」ならいい。なんか、悲壮だし、ある程度の覚悟で挑んでいる気がする。しかし「死のけいこ」と書くとなんだか、「まさかりかついだきんたろう、くまにまたがりおうまのけいこ」の「けいこ」を連想し、なんというか、「死」とはほど遠いところにある気がする。なんつーか「けいこ」には道楽の匂いがぷんぷんするのだ。

 「死亡遊技」っつー映画があった。ブルース・リーである。この言葉と共に連想するのは鏡の部屋での決闘でありあの変な黄色いつなぎであり浦安鉄筋家族だ。1つのダウトはヨシとして、その言葉には緊張感が漂い、冷や汗の一つでさえ許されない怖さがある。

 では「死亡ゆうぎ」はどうだ。どうなんだっつーのもどうかと思うがどうなんだ。「ゆうぎ」となったとたんに幼稚園児が集まってやらされるソレになってしまう。当然「死」という言葉とはかけ離れる。にも関わらず死は隣にあるのである。これは怖い。怖いと同時に、『どんなに平穏な所作であろうとも、死は常にあなたの隣にある』という緩みきった日本社会へのアンチテーゼを示している。なんていう事は決してない。絶対無い。


 じゃあ、いっそ全てひらがなにしてみてはどうだろう「しぼうゆうぎ」。もはや緊張感のかけらもない。とうか何がなんだか解らない。しかし、文字は変われどそこにあるのはブルースリーであり、やたら長身のアフロであり、上下ワシントンなのだ。字面に騙されてはいけない、意味はそこに残る。警戒を怠ってはいけないのだ。子供を集めての映画鑑賞会、『「ぞうさんのおつかい」「忍たま乱太郎」「そう3」の三本立て!』とか言って、子供に一生モノのトラウマを作ってしまうかも知れないのだ。それはそれで面白いかも知れないがやっちゃダメだ。


特にオチはない。




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