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一か月あけといて、これ書くのもアレだけどー。

先に言っとこう。最近読んだ本の受け売りから。

聖書って、あるじゃんすか。あの、キリスト教の人たちが大切に持ってる「人生の攻略本」。あれって、イエスキリストやその他の聖人の方が、人生に困っている弟子や、信者に向けて言った事や行った事なんかが書いてあるんだと思うんですけど。

あれって基本的に、その時々にキリストや聖人さんが当の「困っている人」に向けて言った言葉や行為だと思うのね。それがその「困っている人」に響いたと。とても救われた(not助けられた)と。そういう事が記録に残っている。残ってるだけだと思うんですよ。って、ああえっと「聖書」を例に出しちゃったからアレだけど、これ他の宗教も同じ。いわゆる「経典」とか言われるもの全般そうだって思っていて。

んで。その聖人さんたちも寄る年波には勝てず死んでしまって。そうなると、そうなってしまったとしても一度大きくなってしまった「宗教」は解散できない。なんでできないのっていうと「集団の不自由」としか言えないんだけどとにかく解散はできない。そうすると残された信者は何を拠り所にするかって言うと「あの人は生前こんなこと言ってた」って言葉を集めた「聖書」しかなくて。これを使って、残された「困った人」をどうにかこうにか救っていく。大切なのはそれが「聖人本人が、困っている人に合わせて考えた言葉」では無くて「聖人が他の人に向けて考えた言葉を、聖人じゃない人が今困っている人に向けて使用してる」ってあたり。

他人に向けられた言葉を使って、目の前の困った人を救うって、そんなの上手くいくん?行くんです。昔の人の例だけど「解釈」を加える事で、今の人の例にマッチするようにする。それが上手い人もいるだろう、下手な人もいるだろうけど、そうやって宗教は回っているんだよ。みたいな話があって。この話が、いまの僕を随分と救っている。

ルールとか「こうした方が良い」とか「こうあるべきだ」みたいなものって、言えばそりゃ、「そういう生き方したほうがいいよな」って言わざるを得ない事がいっぱいある。けれどそれって結局、この「聖書」とか「経典」みたいなもので、いろんなものを自分のパターンに合わせて解釈すればいいんかなー。的な。その解釈のパターンを増やすことで楽に生きる方法もあるなーとかそういう。

おちない。



あと。

どうも「自由」って言葉に意味持たせすぎなんじゃないスかね?
極端な事言や平気で人を殴れる人は殴れるって分「自由」じゃないスか
殴らずに居られない人は不自由ですけど。
言葉ばっか大切にしてたら見失う。

って言うことが「ロードス島戦記」に書いてあったと思うんだけど、どうもそうでも無いんだなあ。
とかなんとか。
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