この間#VGM_Gで一緒にDJやってる秋くんから「たまに読んでます」とか言われたので調子に乗って更新してみるテスト。すっかりここの更新しなくなったけど、実際の所更新するテンションが全部スマホに吸われているというかソーシャルに食われてるとか、そういう所なんだろうな。とかなんとかいう話で。実際は、キーボード叩き始めちゃえばあっという間にある程度の文字数は書けるんですよね。
ちょっと前、茶箱に遊びに行った際、同じく茶箱に来ていたかこのくんか、ちっくんのどちらかが言っていた話で、「(歳のせいか)ゲームの謎解きやなんかで詰まって、1時間2時間進捗無しみたいなのが辛い。時間でも金でも、かけたリソース分かならずバックがあるソシャゲについ逃げてしまう」みたいな話を(やや自嘲気味に)していて、なるほどなあ、と思った。現代人は忙しい。忙しいというか、損得勘定で動いてしまうというか、リスクを採らない考え方が浸透している。「してしまっている」って表現のが合っているのかなあ。1時間~2時間かけて成果ナシだと、心なしか損した気持ちになっちゃうんだよね。解る。ソシャゲ嫌いだけど、なんとなく解った。 ツイッターでこの話をちょっとしたらいくつか反応があって、汗やんが「人参のために費やす時間なのか、その時間を楽しんでいるかの違い」なんて話をしてて、更に膝を打ったり。なるほど。ゲームなんて、人参を得る為に頭捻ったり、試行錯誤する遊びだと思ってたんだけど、実は「リソース使ってレバーを引いたら一定確率で人参が出る」でも成立する(していた)んだなあと。そういえばそういう研究もあったね。あれはオランウータンだったか。 こうなってくると、後は雪崩式に「そういえば伊集院光が、瞬間視聴率を追いかけてばかりのテレビ業界を皮肉って『終いにはなんか観てるとこう気持ちよくなるような光がパパパパ-って出る様な番組ばかりになるんじゃねえの』みたいな事を言ってたなあ」とか「今やってる糸井さんと宮本さんの対談で、儲けばかりを気にして居たら続かないみたいな事を言っていたなあ」とか色々繋がってくる。繋がるばかりで閃かない。いや、僕の中では閃いてるんだけど、明文化はできない。限界。 ただ「人参を目標にするのは、退屈だ」と思った。そういえば森博嗣の自由に関する話に当てはめれば「好きなときに人参を得られる事は『自由』ではない。好きな時に人参を得る手段を持つ事が『自由』であり、努力はその手段を得る為にある」のだろうかな。とかなんとか。 ツイート Recent Entries from Same Category
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