□落語を観た
火曜日に、細君の努めている会社主催の落語を観る会というのがあって、それに行ってきました。講談と落語。講談は「立体怪談」っていう題目で、ちょっと笑わせながらも、最後はキッチリと怖がらせるなかなか面白い会でした。 んで、その落語会、落語としては、三遊亭遊吉と三遊亭円丈が出ていたんですが、三遊亭円丈が凄かった。こういう会って大体が古典落語を聞く事になるんですけど(分かり易いからね)、円丈師匠がやったのは新作落語・・・なのか?世間話からちょいちょいと面白いネタをふるいわゆる「まくら」から、気が付けば延々々と「北千住」の話を。「19時43分発、準急栃木行きの発車のベルは鳴り続けている・・・」から始まって、北千住がいかに田舎か、今どれだけ栄えたか、栄えたとしてもしょせん北千住だという話をする、で、ちょっとオチが着くと間を取って「19時43分発、準急栃木行きの発車のベルは鳴り続けている・・・」とくり返す。最初はただの枕詞なのに、くり返すうちその言葉だけで笑えてくる。調べてみると割と話題の新作落語らしい。いや面白い物を見せて貰った。 □くり返しネタ、積み上げていく笑いとテレビ くり返しネタと言うとモンスターエンジン「神々の遊び」。布を被った平民の前に神様が現れて色々な奇跡を起こす・・・・が、実はその平民も実は神様「私だ」「お前だったのか」っていう、独特の間と言い回しをくり返すネタなんだけど、初めて見たのがガレッジセールの番組で、くり返さなかったの。「モンスターエンジンも変な芸始めたな」って思ってため息ついてしまった(後でちゃんとしたネタとしてみたときはゲラゲラ笑った)。てか、くり返しネタを1回で止めるってどうなんだ。テレビの都合ってすごいですね。 くり返しネタもそうだけど、笑えるまでに時間がかかるネタっていうのが結構ある。今週の「笑神降臨」に出てたアンジャッシュもそう。この二人は基本が「勘違い」から始まるから、二人がどういう勘違いをしているかを説明しなくちゃいけない。つまり10分コントがあったら冒頭3分がスゲェ重要になってくる。最近のテレビだとこういうのは致命的って考えてるみたいで、アンジャッシュがテレビでネタやってるの最近見てない。「エンタの神様」でやってたときは右上左上にお互いなんの勘違いをしてるのかずーっとテロップを入れてたけど、これも興ざめでよくない。 テレビでは視聴率が分単位で出るようになっちゃって、日々「何やってたときに一番観られていたか」が検証されている。これのせいで、薄っぺらくても見た目の派手な企画が重宝されるようになってしまった。そのうち、視聴率が秒単位で出るようになると、テレビから「気持ちよくなる光線」みたいなのが出るようになるんじゃねぇの?』って事を伊集院光がテレビブロスに書いてたね。そう言えば。そのときはその光のパターンを再現するフラッシュを作ってこのページに貼る事にしよう。 □中断可能コミュニケーション テレビが分単位の視聴率にこだわるのは割と自然な事とも思う。手元にリモコンを持っている以上、視聴者は番組をいつでも終了させる事が出来るし、途中から見始める事もできる。つまり、一瞬でも「つまらない」と思われれば、それ以降の番組は観て貰えないし、途中参加した時にそれ以前が解らないと面白くないのであれば、やはり続きを観て貰えない。 逆に舞台とか映画の場合、一瞬にこだわる事は無いのかな。観客は基本的に逃げない。文句を言う場合もとりあえず最後までは観て貰える。基本的には。中断可能なメディアなのだ。中断可能に慣れてしまうと、人間長い事に対しておっくうになってしまうもの。ちょっとチャンネルを変えて少し観たところで「ああどうやら話が長そうだな」って思ったらよっぽど面白くない限りチャンネルを変えてしまう。これって結構他でもある。youtubeで人気の動画は3分以内だそうな。長い動画はそれだけで敬遠されてしまうらしい。ゲームも最近は「カジュアルゲーム」とかが結構流行ってる(もちろん長いのも売れてる物はある)。僕も最近は1プレイが長いのはつい敬遠しちゃう。このテキストもここまで何%の人が読んでくれてるのか正直不安になってきたぞ。 インターネット・携帯電話が普及して、コンテンツやコミュニケーションがロギングされるようになった。コンテンツは受け手側の都合に合った形で用意され、置き石的コミュニケーションが主流になった。「今すぐに対応しなくちゃいけない事」はどんどん減っていって、世の中じゃんじゃん便利になって、人間は我慢しなくても良い世の中になった。まあつまり、我慢しなくなった。もちろん悪い事ばっかりじゃないし、僕もそういう便利さの恩恵を受けているので、あまり悲観する訳ではないのだけれど。完全に慣れてしまうのはやだな。って思ったのだ。なんとなく。 ツイート Recent Entries from Same Category
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